季聞屋の野菜

 

「日本ホウレン草」という日本在来のホウレン草がある。初めて栽培してみた時は、胸を打つものがあった。

 

ホウレン草はホウレン草でしょう?と思われる方もおられるだろう。だが、ホウレン草と一口に言っても実はさまざまである。

ホウレン草の発祥地は中央アジア、現在のイラン近辺とされている。回教徒の巡礼に伴い西へ東へと広まったのであるが、植物は気候に合わせて順化する。ホウレン草もまた然り。根付く地域の気候を色濃く受けてその特性を生んだ。大まかに3系統に大きく分けられる。

 

・冬季の温暖な大陸性の気候に順化し、ヨーロッパに広がった西洋種。

・一方のアジアには夏季湿潤・冬季乾燥に適した東洋種。

・その2種を人為的に交配させた交雑種。

 

「日本ホウレン草」とは、東洋種群の内の日本に根付いた一品種である。大戦前まではスタンダードな品種であっただが、今では市場から姿を消して久しい。

 

 

 

東洋種群の特性なのだが、日の長さと気温の関係で秋~冬の間にしか栽培することができない。春や夏に種を播くと、まだいくらも育たぬ小さな内に花芽をつけてしまう。いわゆる「トウ立ち」という状態になり食べられない。

 

東洋種は季節にうるさいのである。

 

「いつでもあること」が重視されるようになった昨今、冬の風物詩であった東洋種「日本ほうれん草」は姿を消し、周年栽培の可能な西洋種が大々的に導入され、現在市場を斡旋するに至っている。単にほうれん草と名打って販売されているものは西洋種の血の濃いハイブリットであろう。

 

さて、その日本ほうれん草であるが、繊細な美しい味わいであった。

 

先に、西洋種の大々的な導入は大戦後と述べたが、西洋種自体は大戦前の1900年頃、日本へ入って来てはいたのである。だが、普及はしなかった。

それは、ほうれん草特有と思われがちな、あの土の香り、その香りが強すぎると、当時は受け入れられなかったためである。

 

そう、東洋種のほうれん草は西洋種に比べ、あの強い土の香りは薄い。物腰の柔らかな香りである。

 

葉肉は西洋種と比べ薄く感じられた。なるほど、お浸し文化の国に根付いたホウレン草だ。舌ざわりが滑らかなのだ。ふと、美しいな、と思った。

 

だが、その一方で、葉肉の薄さは輸送耐久性の低さも思わせた。傷付きやすく流通には乗せにくいだろう。加えて日本ほうれん草は「固定種」と呼ばれる、営利栽培には不向きな種子である。生育にばらつきが大きく作り手の負担は非常に大きい。

 

 

 

あ、いや、「日本ほうれん草を残したい」だとか、「日本ほうれん草がホウレンソウの中では一番だ」などというわけではない。

 

ハイブリットの一辺倒ではなく、西洋種と東洋種と両方があっていいのだ。キッシュに入れたり、グラタンに入れたりと、比較的加熱時間の長い場合は葉肉のしっかりした西洋種の方が用途的には優れるだろう。お浸しや常夜鍋には東洋種の方がいい。近年サラダ用に開発された赤軸のホウレンソウの彩りも目に楽しい。

 

野菜は多様であっていい。ほうれん草を例に挙げたが、この話はホウレン草に限ったわけではなく、他の野菜にも同じようなことが言えるのだ。

 

 

 

 

野菜は時代とともに変化してゆくものである。

 

その変化は使い手(消費者)のためだったり、流通のためだったり、栽培する農家のためだったりする。

 

いずれにしろ、何らかの改良を旨としての変化なのであるが、この3者がそろって豊かになるというケースは実は稀であって、一方が好転するともう一方は悪転するといったヤジロベイな関係にある。そのヤジロベイがどちらか一方に傾いた結果、その本質をそがれた野菜をよくよく目にする。

 

野菜ってこんなもんじゃないのにな、と思う。

 

私は留めたいのだ。

 

野菜の豊かな原質を。